アインシュタインの言葉に「神は賽を振らない」とある。
これは「宇宙は偶然に出来上がった」ということに対する反論の言葉。
宇宙は、すべて理に叶っているということでもある。
宇宙は法則にのっとり、理路整然としているものかも知れないが、
人間の歴史を辿ってみると、むしろ偶然が重なって
歴史が動いてきたように見える。
まるで偶然の所産の賽(さい)の目を見るかのようなところがある。
この賽、たいてい遊びに使われるものだが、
その代表的なものとしては絵双六。
これが一般的となったのは、江戸時代といわれる。
それよりも古い時代には「盤双六」と呼ばれるものが人気だった。
これは『 源氏物語』「常夏」の帖にも出てくる。
近江の 君が侍女の五節の君と盤双六にうち興じる様が描かれている。
この盤双六は賽の目がかなりの要素をしめるが、知的要素も要求される。
人生を双六に喩える話もある。
順風満帆に見えても、思わぬ落とし穴があるもの。
一回休み、などはまだいいが、
「フリダシに戻る」という厳しいものもある。
『平家物語』に白河法皇が叶わぬものとして、
「賀茂川の水」「山法師」に加え「双六の賽(さい)」
として挙げている。
我が世の春とばかりに思い通りの人生を歩んだ白河法皇だが
賽の目ばかりは、どうしようもなかったようだ。
今の世の中、思い通りにならないもの、
「IS」「中国の大気汚染」「年金基金の大赤字」...
「フトコロの金」